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Posted by チェスト at

2010年03月22日

■地味スポット一人探検隊 ~「猫城跡」~ ■

地味だけど、おもしろい!

そんな場所をうろつく旅。(散歩)


今回は南九州市頴娃町にあるユダ・オブザイヤーの実家から
ちょっとあるいていける範囲をヒトリ探検してきたでござるよ。
変なゲタ履いて!


まずはじめはコレ!

「猫城」!


※画像横って・・・見づらい


オブザイヤーが小学校の時の通学路の途中の風景の一部なんですが、
あのころからこの山?のことを「猫城」と呼んでいた。
”呼んでいた”というより”知っていた”というかんじかなあ。
誰か大人から教えてもらった記憶はないんだけど、この山が「猫城」だって知っていた。
ここらへんとおる小学生はみんな知ってた。
ちなみに今度小4になる我が妹に聞いてみたらやっぱり知っていた。
小学生は、知っている。知っているぞ!

学校の行き帰り、「猫城」にまつわる妄想をいろいろしていたものです。


で、今ちょっとしらべてみたら「猫城」という呼び名はやはりあった!
(というか、地区の史跡めぐりの資料に載っていた。なーんだ・・・)

南九州市教育文化課「宮脇校区史跡めぐり」
によると


「猫城はいつ頃つくられたのかはっきりしませんが、知覧筋の要塞として砦が置かれた山城でした。
応永27年(1420年)に平姓頴娃氏が島津久豊と戦ったときにこの城に第2軍を置き、
第三軍を馬船(今の山脇公民館付近)に置いて戦ったといわれています。
「猫城」の由来は、
遠くから見た景色が猫が背伸びをした姿にそっくりなところから名づけられたといわれています。」


かわいい!

でも、うーーん。
猫の背中か・・・?
うーーーん。


ちなみに”第三軍”の「馬船」はだいたいここらへん、ということだ








ここまで書いといてなんですが、もしかしたら画像の場所、猫城跡じゃない気がしてきた・・・
だとすると、
小学生のときからいままでずっと猫城からちょっとずれたところを猫城とおもっていきていたことに
なるが・・・。
うーーん。ここが猫城跡、だといいなあ。

いや、猫城跡、ということにしよう。

もしちがったらここはネオ城だ。ネオ・湯田城だ。

  

Posted by ユダ・オブザイヤー at 17:58Comments(0)

2010年03月22日

岩屋公園



で桜をみつつうろうろしたよ
桜がさきはじめ夢みたいなとこになっていたよ


  

Posted by ユダ・オブザイヤー at 15:28Comments(0)

2010年03月22日

後ろをむけば磨崖仏


花見だい!










なんか、看板の上のミニ丘に座っているから看板をみる人に下からみられている

仙人か!

  

Posted by ユダ・オブザイヤー at 13:19Comments(0)

2010年03月22日

どっかにつれていってもらおう




帰ってきたのはいいが

靴がびしょ濡れになったから、はくものがない!

父のゲタを借りようと思ったが鼻緒がきれていた
母のくつは小さくてはけないし
弟のくつは、

きたねえ!


勝手口の奥の奥にやっとみつけた!  

Posted by ユダ・オブザイヤー at 12:57Comments(0)