2010年03月30日
2010年03月30日
そうだ、京都へ
今週末いくのです。
がっ!
1日しかいれない。。。
つーか一泊もせずにかえる。
ちょっと~
もったいないよう
もったいないらりほー!
観光はできないなー
やりたいこといっぱい!
京都でもね。どこでもね。
とりあえず
今週末は京都で素敵なお店を見学をしたり、
いい男の奏でるいい音楽をきいたり、
歩いたりしてきます。自転車には乗らない予定。
あと桜みてきまーす
次回は観光目当てでいく!

京都まで7400円でゆくよ!
安く、そして安い中でも早く着く。
2010年03月28日
はたらきます!
あ!
昨日は市文でした!
今日はとあるレストランでのウェディングパーティーにいったんですが(参列者じゃないけど)
そこで知り合い二人にあいました
二人はそこの従業員でした
おーびっくり!

大変なことにきづいた。
お金がたりない!
なんか日払いでのお仕事ないですかね…
Posted by ユダ・オブザイヤー at
16:06
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2010年03月28日
2010年03月27日
2010年03月26日
火男(ひょっとこ)

こいつ、うちにあるビクターのニックくん。でかいよ!
いも
おいもいもいも
いもいもおいも
いもいもいもいも
いもいもおいも
いもほりするぞー
いもいもおいも
いもいもいもいも
いもいもおいも
いもいもいもいも
もういいおいも
昔つくった詩
いかんゲシュタルト崩壊!!!!
渋さ知らズのライブにいきたい。
Posted by ユダ・オブザイヤー at
20:57
│Comments(0)
2010年03月26日
2010年03月25日
■地味スポット一人探検隊 ~「牛太郎渕」~■
地味だけど、おもしろい!
そんなスポットをめぐる旅。(散歩)
in オブザイヤーの実家近辺
Ⅴol.4
これでとりあえず終わりっ!
ついに一番好きな場所「牛太郎渕」です。
オブザイヤーの逃げ場!!!
さて、この「牛太郎渕」。
ほんとに「牛太郎渕」と呼ばれているのかは定かではない。
とりあえず父はそう呼んでいて、そう教えられた。
でも他の人がそう呼ぶのを聞いたことがない。
というか他の人と、この「渕」の話をしたことがない。
父によると
「昔、太郎という少年がいた。
太郎の家では牛を飼っており、その牛の世話全般は太郎の仕事だった。
ある日、この渕で太郎が牛の体を洗っていた。
すると、この渕の主である大ウナギが目を覚ました。
腹ペコの大ウナギは大きな口を開けて
太郎と牛一頭を丸ごと一口で呑み込んでしまった。」
このことから「牛太郎渕」と呼ばれるようになったという。
太郎、不憫!!!!!!
オブザイヤーの父は勝手に伝説とかをでっちあげるタイプ、
つまりは”勝手に伝説つくリスト”なので、
多分この話も父が作ったのだろう・・・と思ってはいるが、
ちょっと気になるので、他の人がこの渕をなんと呼んでいるのかもふくめて
調べてみようかと思う。
↓牛太郎渕の写真

牛太郎渕に通じる通路?の前にはこんな立て看板。たしかにかなり深いからな。

とりあえずここをジャンプして越えないことには先に進めない。
が、この時下駄だったので少し躊躇した。(飛んだけど)

おお見える見える!よーしこの木をこえればすぐだ!

写真なんかより、実物はもっっっっっときれい。
もっと暗くて、あおい。
水がつめたい。
奥のほうには滝がある。
そんなスポットをめぐる旅。(散歩)
in オブザイヤーの実家近辺
Ⅴol.4
これでとりあえず終わりっ!
ついに一番好きな場所「牛太郎渕」です。
オブザイヤーの逃げ場!!!
さて、この「牛太郎渕」。
ほんとに「牛太郎渕」と呼ばれているのかは定かではない。
とりあえず父はそう呼んでいて、そう教えられた。
でも他の人がそう呼ぶのを聞いたことがない。
というか他の人と、この「渕」の話をしたことがない。
父によると
「昔、太郎という少年がいた。
太郎の家では牛を飼っており、その牛の世話全般は太郎の仕事だった。
ある日、この渕で太郎が牛の体を洗っていた。
すると、この渕の主である大ウナギが目を覚ました。
腹ペコの大ウナギは大きな口を開けて
太郎と牛一頭を丸ごと一口で呑み込んでしまった。」
このことから「牛太郎渕」と呼ばれるようになったという。
太郎、不憫!!!!!!
オブザイヤーの父は勝手に伝説とかをでっちあげるタイプ、
つまりは”勝手に伝説つくリスト”なので、
多分この話も父が作ったのだろう・・・と思ってはいるが、
ちょっと気になるので、他の人がこの渕をなんと呼んでいるのかもふくめて
調べてみようかと思う。
↓牛太郎渕の写真

牛太郎渕に通じる通路?の前にはこんな立て看板。たしかにかなり深いからな。

とりあえずここをジャンプして越えないことには先に進めない。
が、この時下駄だったので少し躊躇した。(飛んだけど)

おお見える見える!よーしこの木をこえればすぐだ!

写真なんかより、実物はもっっっっっときれい。
もっと暗くて、あおい。
水がつめたい。
奥のほうには滝がある。
2010年03月25日
おめでとう!頑張って出世し、恵まれない私に寄付を・・・
今日は鹿大の卒業式でした。
もちろんあたいは出待ち組!!
同期のちゅーやんとみー君が卒業。
おめでとう!!!!!
めでたさのあまりアンパンマンのぺろぺろチョコを二人にプレゼント!!
「みんなが笑顔になるように・・・そんな願いをこめたチョコレートです。」
ってアンパンマンとメロンパンナちゃんが言ってます。ウインクしながら。
院いったり、アメリカ行ったり。うーーんすごい。
連れて行ってもらおうかなー。
ところで私もサークルの後輩から卒業生と一緒にプレゼントをもらいました。
おはなおはな♪
もちろん誕生日プレゼントとして。
うれしいなーーーっ
小さい紙袋をあけたら、可愛い猫の、なんだろう、ハンコ?が入ってました。
わーーーーーいかわいい!!!
みなさんおめでとう!
Posted by ユダ・オブザイヤー at
14:23
│Comments(0)
2010年03月24日
番外編・湯田スポ!サンタクロースの家

サンタクロースの家!!!!!
地区に一人サンタクロースがいるから
地区に一件サンタクロースの家がある
ということにして、
人がすんでいないボロボロな家を見つけ出し
「サンタの家」と名付ける遊びが
小学5か6のときに流行った。(自分の中で)
ここはオブザイヤーの家がある地区のサンタの家。
ボロボロすぎる
2010年03月24日
2010年03月23日
サイゴ

今日はダンスと芝居の稽古だったので
市内に帰ってきましたっ。
画像はダンスで使ってた場所
ビルの管理会社がでていくそうで使えなくなるので四月からは違う場所です
Posted by ユダ・オブザイヤー at
21:05
│Comments(0)
2010年03月23日
番外編・湯田すぎるスポット!その1
湯田すぎるスポット第一弾
『湯田(オブザイヤー)が小学四年生のときに巨大鶏においかけられた場所』

田舎写真がつづき、もう見慣れない人にとっては見分けがつかないだろうが
また!
田舎写真!
というか田舎写真しかない!
ド田舎だからな。
この場所は、そう。
みなさんご存知のとおり!
オブザイヤーが小学四年生のときに友人と共に巨大な鶏においかけられた場所である。
今はなにもないが当時はここに小さな鶏小屋があった。
ある日、なんでか鶏小屋の扉があいていて鶏たちが道にでていた。(鶏パラダイス)
そしてそこへわたしたちが偶然通りかかったというわけだ。
当時わたしは飼育係をやっていて、
しかも担当は烏骨鶏とクジャク。
怖がる女の子たちを尻目に、よく鶏小屋にはいっていたものだ。
だから自分のことを
『世界中の鶏や鳥から好かれている女』
だと思いこみ、調子にのっていた。
鶏パラダイスの中に、ひときわ目立つ雄の鶏がいた。立派な鶏だった。とにかくでかかった。
背丈がわたしたちの胸のあたりまであった。つまり80~100センチクラスの鶏だよ!
でも「鶏たちのアイドル」湯田にかかれば!こんな怖い鶏男もイチコロよ!
と、
鶏の鳴き声の真似しながら、その鶏にかけよったんだよ。すごいでしょ
そしたらさあ!鶏のやつ!
断末魔のような叫び声をあげて!
羽もわっさー!ひろげて!
すんごいスピードで!
追っかけてきやがったの!!!
「ぎゃああああああ!!!!」
こ ろ さ れ る … !
感じ取ったもん。本能で。
あ、こいつにゃかなわない、って。
泣いたね、さすがに。
『湯田(オブザイヤー)が小学四年生のときに巨大鶏においかけられた場所』

田舎写真がつづき、もう見慣れない人にとっては見分けがつかないだろうが
また!
田舎写真!
というか田舎写真しかない!
ド田舎だからな。
この場所は、そう。
みなさんご存知のとおり!
オブザイヤーが小学四年生のときに友人と共に巨大な鶏においかけられた場所である。
今はなにもないが当時はここに小さな鶏小屋があった。
ある日、なんでか鶏小屋の扉があいていて鶏たちが道にでていた。(鶏パラダイス)
そしてそこへわたしたちが偶然通りかかったというわけだ。
当時わたしは飼育係をやっていて、
しかも担当は烏骨鶏とクジャク。
怖がる女の子たちを尻目に、よく鶏小屋にはいっていたものだ。
だから自分のことを
『世界中の鶏や鳥から好かれている女』
だと思いこみ、調子にのっていた。
鶏パラダイスの中に、ひときわ目立つ雄の鶏がいた。立派な鶏だった。とにかくでかかった。
背丈がわたしたちの胸のあたりまであった。つまり80~100センチクラスの鶏だよ!
でも「鶏たちのアイドル」湯田にかかれば!こんな怖い鶏男もイチコロよ!
と、
鶏の鳴き声の真似しながら、その鶏にかけよったんだよ。すごいでしょ
そしたらさあ!鶏のやつ!
断末魔のような叫び声をあげて!
羽もわっさー!ひろげて!
すんごいスピードで!
追っかけてきやがったの!!!
「ぎゃああああああ!!!!」
こ ろ さ れ る … !
感じ取ったもん。本能で。
あ、こいつにゃかなわない、って。
泣いたね、さすがに。
Posted by ユダ・オブザイヤー at
16:39
│Comments(0)
2010年03月23日
■地味スポット一人探検隊 ~「伊瀬知滝の磨崖仏」~ ■
地味だけど、おもしろい!
そんなスポットをめぐる旅。(散歩)
in オブザイヤーの実家近辺
Ⅴol.3
さっきの天神滝のところから、ずずずい~~っとのぼっていったところにまた、滝。
「伊瀬知滝」
ここも、けっこう簡単にちかづける。
天神滝は滝壺の近くに行けるんだけど、伊瀬知滝は、滝の頭に降りられる。
だから、まあ危ないですよ。
そして、伊瀬知滝はね~~大きい!!!
場所的に大きさがわかる写真がちょっととれませんでした。残念・・・。


※画像をクリックすると(割と)大きな画がみれます
はい、では毎度おなじみ「宮脇校区史跡めぐり」より
「伊瀬知滝の磨崖仏と水力発電所跡」
「伊瀬知滝の岩壁に磨崖仏があります。
「磨涯仏」とは岩に彫られた仏像で、伊瀬知滝の岸壁には
線で刻んだ如来像と南無阿弥陀仏の刻文がついているようです。」
ここの磨崖仏は、滝の水が流れる途中の脇のとこにあります。
前は見えた。見たことあった。でもちょっと子供の足では近づけないところにあり
滝を挟んで反対側のけもの道から、やっとなんか壁に彫ってあるのが見える程度だったんだけど
今回は、その”けもの道”もたおれた木にふさがれてしまっていて見ることできませんでした。
下駄じゃなければ無理やり行くんだが・・・
「伊瀬知滝のさらに下流には、頴娃ではじめて建設された水力発電所の跡があります。
家庭の照明は明治18年ごろまでは行燈で、種油を皿に入れて芯に点火したものでしたが、
この頃石油ランプが普及して便利になったといわれています。
電灯がついたのは大正10年で、配電は薩南水田会社が行いました。
この会社は、旧知覧町の蟹ヶ地獄と伊瀬知滝に発電所を建設し送電を行いました。
昭和3年に頴娃村が買収し、村営事業として経営を行いましたが、昭和18年に九州配電会社に統合されました。水力発電のための動力水の取水路の一部とみられる遺構などが残っています。」
水力発電所の跡、はみたことないんですよね~~~
う~~~ん見てみたい。

伊瀬知滝からみえる風景
そんなスポットをめぐる旅。(散歩)
in オブザイヤーの実家近辺
Ⅴol.3
さっきの天神滝のところから、ずずずい~~っとのぼっていったところにまた、滝。
「伊瀬知滝」
ここも、けっこう簡単にちかづける。
天神滝は滝壺の近くに行けるんだけど、伊瀬知滝は、滝の頭に降りられる。
だから、まあ危ないですよ。
そして、伊瀬知滝はね~~大きい!!!
場所的に大きさがわかる写真がちょっととれませんでした。残念・・・。


※画像をクリックすると(割と)大きな画がみれます
はい、では毎度おなじみ「宮脇校区史跡めぐり」より
「伊瀬知滝の磨崖仏と水力発電所跡」
「伊瀬知滝の岩壁に磨崖仏があります。
「磨涯仏」とは岩に彫られた仏像で、伊瀬知滝の岸壁には
線で刻んだ如来像と南無阿弥陀仏の刻文がついているようです。」
ここの磨崖仏は、滝の水が流れる途中の脇のとこにあります。
前は見えた。見たことあった。でもちょっと子供の足では近づけないところにあり
滝を挟んで反対側のけもの道から、やっとなんか壁に彫ってあるのが見える程度だったんだけど
今回は、その”けもの道”もたおれた木にふさがれてしまっていて見ることできませんでした。
下駄じゃなければ無理やり行くんだが・・・
「伊瀬知滝のさらに下流には、頴娃ではじめて建設された水力発電所の跡があります。
家庭の照明は明治18年ごろまでは行燈で、種油を皿に入れて芯に点火したものでしたが、
この頃石油ランプが普及して便利になったといわれています。
電灯がついたのは大正10年で、配電は薩南水田会社が行いました。
この会社は、旧知覧町の蟹ヶ地獄と伊瀬知滝に発電所を建設し送電を行いました。
昭和3年に頴娃村が買収し、村営事業として経営を行いましたが、昭和18年に九州配電会社に統合されました。水力発電のための動力水の取水路の一部とみられる遺構などが残っています。」
水力発電所の跡、はみたことないんですよね~~~
う~~~ん見てみたい。

伊瀬知滝からみえる風景
2010年03月23日
■地味スポット一人探検隊 ~「天神滝」~ ■
地味だけど、おもしろい!
そんなスポットをうろつく旅。(散歩)
in オブザイヤーの実家近辺。
実家はなんか、山や滝にかこまれた場所にある。
ちょっといくと、おい、谷じゃねーのかここはという場所である。
風の谷の湯田シカである。
道路からすぐのとこにこんな滝がある。
「天神滝」

近づいてみる

この滝は相当近くまで行ける。
滝を浴びれるとこまで行ける。
浴びなかったけどな
ちなみにここも前回の記事の「宮脇校区史跡めぐり」に載ってるんだな。
像があるからさ「天神像」が。
↓「天神像」

木造なのでもう形がよくわかんなくなってます。
「天神像は木造立像で、天神社の御神体です。
天神滝が山津波で崩れ、神殿が流されたので、現在は滝下の崖のくぼみに安置されています。
もともと木でつくられているため傷みが激しく、形がよくわからなくなっています。」
小学生のころは、ここにはクマが住んでいると思ってた。
2010年03月22日
■地味スポット一人探検隊 ~「猫城跡」~ ■
地味だけど、おもしろい!
そんな場所をうろつく旅。(散歩)
今回は南九州市頴娃町にあるユダ・オブザイヤーの実家から
ちょっとあるいていける範囲をヒトリ探検してきたでござるよ。
変なゲタ履いて!
まずはじめはコレ!
「猫城」!

※画像横って・・・見づらい
オブザイヤーが小学校の時の通学路の途中の風景の一部なんですが、
あのころからこの山?のことを「猫城」と呼んでいた。
”呼んでいた”というより”知っていた”というかんじかなあ。
誰か大人から教えてもらった記憶はないんだけど、この山が「猫城」だって知っていた。
ここらへんとおる小学生はみんな知ってた。
ちなみに今度小4になる我が妹に聞いてみたらやっぱり知っていた。
小学生は、知っている。知っているぞ!
学校の行き帰り、「猫城」にまつわる妄想をいろいろしていたものです。
で、今ちょっとしらべてみたら「猫城」という呼び名はやはりあった!
(というか、地区の史跡めぐりの資料に載っていた。なーんだ・・・)
南九州市教育文化課「宮脇校区史跡めぐり」
によると
「猫城はいつ頃つくられたのかはっきりしませんが、知覧筋の要塞として砦が置かれた山城でした。
応永27年(1420年)に平姓頴娃氏が島津久豊と戦ったときにこの城に第2軍を置き、
第三軍を馬船(今の山脇公民館付近)に置いて戦ったといわれています。
「猫城」の由来は、
遠くから見た景色が猫が背伸びをした姿にそっくりなところから名づけられたといわれています。」
かわいい!
でも、うーーん。
猫の背中か・・・?
うーーーん。
ちなみに”第三軍”の「馬船」はだいたいここらへん、ということだ

ここまで書いといてなんですが、もしかしたら画像の場所、猫城跡じゃない気がしてきた・・・
だとすると、
小学生のときからいままでずっと猫城からちょっとずれたところを猫城とおもっていきていたことに
なるが・・・。
うーーん。ここが猫城跡、だといいなあ。
いや、猫城跡、ということにしよう。
もしちがったらここはネオ城だ。ネオ・湯田城だ。
そんな場所をうろつく旅。(散歩)
今回は南九州市頴娃町にあるユダ・オブザイヤーの実家から
ちょっとあるいていける範囲をヒトリ探検してきたでござるよ。
変なゲタ履いて!
まずはじめはコレ!
「猫城」!

※画像横って・・・見づらい
オブザイヤーが小学校の時の通学路の途中の風景の一部なんですが、
あのころからこの山?のことを「猫城」と呼んでいた。
”呼んでいた”というより”知っていた”というかんじかなあ。
誰か大人から教えてもらった記憶はないんだけど、この山が「猫城」だって知っていた。
ここらへんとおる小学生はみんな知ってた。
ちなみに今度小4になる我が妹に聞いてみたらやっぱり知っていた。
小学生は、知っている。知っているぞ!
学校の行き帰り、「猫城」にまつわる妄想をいろいろしていたものです。
で、今ちょっとしらべてみたら「猫城」という呼び名はやはりあった!
(というか、地区の史跡めぐりの資料に載っていた。なーんだ・・・)
南九州市教育文化課「宮脇校区史跡めぐり」
によると
「猫城はいつ頃つくられたのかはっきりしませんが、知覧筋の要塞として砦が置かれた山城でした。
応永27年(1420年)に平姓頴娃氏が島津久豊と戦ったときにこの城に第2軍を置き、
第三軍を馬船(今の山脇公民館付近)に置いて戦ったといわれています。
「猫城」の由来は、
遠くから見た景色が猫が背伸びをした姿にそっくりなところから名づけられたといわれています。」
かわいい!
でも、うーーん。
猫の背中か・・・?
うーーーん。
ちなみに”第三軍”の「馬船」はだいたいここらへん、ということだ

ここまで書いといてなんですが、もしかしたら画像の場所、猫城跡じゃない気がしてきた・・・
だとすると、
小学生のときからいままでずっと猫城からちょっとずれたところを猫城とおもっていきていたことに
なるが・・・。
うーーん。ここが猫城跡、だといいなあ。
いや、猫城跡、ということにしよう。
もしちがったらここはネオ城だ。ネオ・湯田城だ。
2010年03月22日
2010年03月22日
2010年03月22日
どっかにつれていってもらおう

帰ってきたのはいいが
靴がびしょ濡れになったから、はくものがない!
父のゲタを借りようと思ったが鼻緒がきれていた
母のくつは小さくてはけないし
弟のくつは、
きたねえ!
勝手口の奥の奥にやっとみつけた!